HACHIと創業者の歩み
History
創業者 角田昭八
創業者 角田昭八は、1979年名取市郊外で小さな洋食屋をはじめました。それが、現在のレストランHACHI 名取本店です。
生い立ちから、修業時代
七郷村六丁の目字屋敷、今の仙台市若林区六丁の目中町の農家で、昭和8年に生まれたので「昭八」と命名された角田昭八は、戦争に行った二人の兄に代わり家業の農業に従事しする10代を過ごしました。
一人の兄は戦死、もう一人の兄は終戦後もシベリアに拘留され復員が遅れました。その復員を待って兄に代わり家を出て、手に職をつけるため洋食コックの道を選びました。すでに24歳になっていました。
働いた店の名前は「レストランほうげつ」。
大都会仙台駅前の店に、七郷村の農家から出てきた田舎者として自分の訛りに怖気づき、チキンライスをチチンライスとしか言えず、恥をかいたり、勉強嫌いの中卒が突然フランス語で料理を学ぶ苦労、遅い修行のスタートだったため年下の後輩にいじめられた苦労など、生前若い従業員らに語る場面もありました。
独立、1979年HACHI開業
負けん気の強さと努力で、レストランほうげつでは料理長として用いられ、コックという天職に巡り合えた前半生だったようです。
29歳の時、見合いで妻の信子と結婚。『この出会いが、HACHIにとっての基礎になったと言える』と長男である現社長の角田は語ります。
遅い独立となりましたが、縁あって名取の地に店を構えます。47歳でした。現在のレストランHACHIの名取本店です。
「HACHI」の由来は自分の名前、昭八の「八」の字を「末広がりで縁起が良い」という理由から選びました。
料理には十分な経験を積んでいたものの、妻の信子を含めて飲食店の接客や運営は手探り。思うように売り上げも上がらず苦しい数年間を過ごしました。
ですが、現在も継承されているハンバーグに現れているように、独立したことで得意の創意工夫を現わせる時代だったと思います。
店のオーナーの定める材料費などの方針に従い、独立する前はすべての料理が自分の自由にはなりません。
HACHIのハンバーグの特徴は、卵の含有量、角田昭八は独立後に得意の創意工夫で、独特のふっくらふわふわ型ハンバーグを完成させました。
現役時代は、マスターとお客様からも慕われ、家族のようなお付き合いをしてくださる出会いにも恵まれ、今日までご縁が続いているお客様もいらっしゃいます。
引退そして「あたりまえのことをまじめにコツコツ・・・」
角田昭八は西洋料理を日本人に合うようにアレンジし、発展したニッポンの洋食を修業してきたので、料理への創意工夫を怠りませんでした。
しかし、あたりまえのことをまじめにコツコツ・・・この精神は、新しいことを考える、始める、よりもっと大切なのが日々繰り返しやる仕事こそ大事、という考え方でした。
開業当初、数年間はお客様が少なく、暇なランチタイムにも黙々と包丁を研ぐ姿や、キッチンをピカピカにする姿がありました。 始めたことをキチンと継続していく、それがあたりまえのことをまじめにコツコツ・・・です。
受け継がれるポリシー
HACHIのイメージキャラクターのあのコックさんは『昭八さん』。
もちろん角田昭八がモデルです。
マスコットとしても、これからもHACHIの各店に生き続ける昭八さん。
「あたりまえのことをまじめにコツコツ・・・」のポリシーが継承されて行くことが、角田昭八の喜ぶこと。
これからもこのポリシーを胸に、おいしいニッポンの洋食をお届けします。