閖上に復活する名取市サイクルスポーツセンター。
私たちHACHIはここで新しい姉妹店「港食堂HACHI」をオープンします。
※写真は開業に向けて準備の進むサイクルスポーツセンターです。
「港食堂」閖上に暮らした人には思い入れのある名前です。
遠藤さんご一家が長年守ってきた暖簾でした。
2010年暮れ、遠藤さんご家族とHACHIをつないでくれた出会いがありました。
「港食堂」私たちにも思い入れのある名前なのです。
少し長くなりますがお店の名前の由来をお聞きください。
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「港食堂」創業35年目の冬、遠藤さんご一家はお店の創業者である
お祖母ちゃんの年齢もあり店じまいを検討しているときでした。
お店を閉めるのだからと、当時お店で活躍していた
お嫁さんの友美枝がHACHI名取本店の求人に応募してきてくれたのです。
面接でその話を聞いた私は『本当にお店を閉めてもいいんですか?』と
港食堂のことやご事情をお伺いしました。
お店を閉める時期は友美枝さんの再就職が決まり次第とのこと。
つまり友美枝さんへの採用判断は港食堂35年の歴史に
ピリオドを打つ判断にもなるのでした。
友美枝さんの人柄や経験には申し分なく私としては
迷わず採用の気持ちでしたが『本当にお店を閉めてもいいんですか?』と
そのことが気懸りでした。
そこで、閖上に足を運び港食堂にお邪魔してみました。
閖上に根づいた街の食堂。
焼肉定食が名物で、地元の人どうしの交流の場所でもありました。
『本当にこのお店を閉めてもいいだろうか?』と
私は自分のことのように悩みました。
私は父母の創業したHACHIをここまで経営してくる間に
家族で何度も『お店を閉めようよ』と悩み、
時に投げやりになったことがありました。
けれど店を閉めることを反対し、「続けることに意味がある」と
踏みとどまるよう働きかけてくれた人たちのおかげで今日のHACHIがあります。
私はそのような身の上話も伝えながら、遠藤さんご家族で
本当にお店を閉めて良いのか?をもう一度話し合ってもらいました。
数日後、友美枝さんから連絡があり『家族で十分に話し合えたこと、
常連のお客さまに閉店をお知らせする期間を1か月とり、
その後HACHIで働きたいこと』を告げられました。
閖上の街に愛された「港食堂」はそれから1か月、
お客さまと泣き別れの期間となったそうです。
そして友美枝さんは閖上に根づいた街の食堂での経験を
遺憾なくHACHI名取本店で活躍してくれました。
そんな遠藤家とHACHIのつながりは友美枝さん以降も続き、
お嬢さんもHACHI名取本店でアルバイトしてくれたのです。
母娘に流れる港食堂で育まれたパパマママインドは
私たちHACHIをさらに成長させてくれました。
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東日本大震災から9年、名取市サイクルスポーツセンターが再建される。
その中のレストランをやれるチャンスがHACHIに巡ってきました。
復興達成を宣言した名取市、今後の閖上地区では交流人口の拡大が課題となります。
新しいサイクルスポーツセンターは閖上に新しい人の流れを創り出すことが使命となります。
ゆりあげ温泉で寛ぐ人、汗をかくサイクリストたち、園内で楽しむ家族連れ。
実に多種多様な利用シーンが想像できます。
そこに存在するレストランも幅広い利用シーンに応える必要があります。
だから「食堂」というキーワードが浮かびました。
そして閖上とHACHIをつなぐきっかけになったあの遠藤家の
「港食堂」の名前こそ相応しいと思いました。
「港食堂」閖上の地で惜しまれつつ閉じた歴史。そこに少なからず関われた私たち。
閖上の地に「港食堂」の歴史を新たなカタチで続けることができたなら・・・
遠藤家の「港食堂」と同じものを再現はできませんが、
この秋、創業41年を迎えるHACHIが「閖上港食堂HACHI」として
愛される新しい「港食堂」を築き上げていきます。
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お店の名前を「閖上港食堂HACHI」としたいと、
遠藤家の皆さまにもご了解をいただきました。
とても長い長いお話しになりましたが、
これが「港食堂」という名前に対する私たちの思い入れなのです。
(レストランHACHI代表 角田)